Room 386

見晴愛や日常について

キャラ愛について

前々から書き留めておこうと思っていたテーマでしたが、前回の曲語りの記事にて↓こんなことを書いたところ、何人かの方から「興味深い」とのコメントをいただいたので、これを機会に本記事にて語りたいと思います。
(書いてみたらかなり長くなってしまった😇)

(デートに急ぐ見晴がぶつかった人について)ちなみにここで見晴とぶつかったのは自分という妄想をよくします^o^
自分は見晴と付き合いたいとかそういう類のキャラ愛ではないので、見晴との関係性というか、自分のポジションはこれぐらいがちょうどいいと思ってます
この辺りはまた別の記事で

ただただ見晴の幸せを願う

自分のキャラ愛、特に最も好きなキャラである館林見晴への愛は、一言でいえばコレに尽きます。

キャラ愛っていろんな形があると思いますが、恋愛シミュレーションゲームのキャラ(特に異性)に対しては、そのキャラに対する恋愛感情が最もポピュラーなのかなと思います。ただ…

 

自分は見晴に対して恋愛感情を抱いてないです。

 

もし現実にいたら付き合いたいとか、触れてみたいとか…そういった欲がないです。
むしろその点で言えば、虹野さんや光に対しての方が初期プレイ当時(中学~高校生)に確実に抱いてましたし、最近プレイした中では橘さんとかの方があるぐらいです。

高校生を恋愛対象と見れない年齢になったからか?とも思いましたが、多分違います。少なくとも二十歳の頃にはそうなってましたから。
(…もしかしたら、初期はそういった恋愛感情は持っていたかもしれません。でも、多分ほんの一瞬だったと思います。)

しかも外見では見晴や佐倉さんは好みのタイプでもないですw

じゃあどういうキャラ愛なんだよというと…

 

ただただ、見晴の幸せになって欲しい。

見晴の幸せを願う。

ずっと笑顔でいてほしい。

見晴の恋が成就してほしい。

 

そんな想いです。
そしてそれを実現する(見晴を幸せにする)のは自分じゃなくて良い。
見晴が好きなのは自分ではなく「主人公」なので、「主人公」と幸せになって欲しい。と思っています。
これは主人公と自分をあまり同一視していないからというのもあるでしょうが…。
見晴は隠しキャラでこちらからデートできないので、見晴との「恋愛シミュレーション」してないというのもありそうです。

話を戻します。
存在しない人物の幸せを願う(しかもコンテンツとしてはもう終わっているキャラの)って、ちょっとおかしいと自分でも思うんですけど、そういう感情なんです。

恋愛小説とか漫画とかドラマとかで、このキャラの恋を応援したい!って感情あるじゃないですか?あれの究極系と思ってもらえればわかりやすいでしょうか。
なんとなく、この辺りは男性メモラーより女性メモラーが本家ときメモキャラへ抱くキャラ愛に近いような気がしています(わかりませんが)。

なので、現実世界にもし見晴が存在したとしても「付き合いたい」とならないんですね。

じゃあどれくらいのポジションがいいかというと、
友人とか知り合いとか…見晴の幸せを見れるポジションが一番いいです。

そういうわけなので、冒頭で語った、

ちなみにここで見晴とぶつかったのは自分という妄想をよくします^o^
自分は見晴と付き合いたいとかそういう類のキャラ愛ではないので、見晴との関係性というか、自分のポジションはこれぐらいがちょうどいいと思ってます

なのです。

…いや、正直ちょっと遠すぎましたw
本当はもうちょっと近い方がいいですw
見晴という人間が単純に好きなので、話してみたい、というのは純粋にありますし。
ただ、これは自分のエゴなのですよね、見晴の幸せに関係しないので。
なのでまぁこれぐらいでもいいです。見晴が幸せであれば。

もっと言うと、もし見晴に「大好きです!」と言われたとしても、戸惑います。
…あんまり嬉しくないまでありますw

見晴が好きなのは主人公なので、、、
「いやいや、見晴が好きなのは俺じゃないでしょ…目を覚ましてよ」となっちゃいます。
でも、それが見晴の幸せなんですと言われたら困っちゃいますが。(何の妄想だよ…)

見晴ありがとう

もう1つ、こうして振り返ってみて改めて思うことがあります。
それは、見晴に対する感謝の気持ちがとても大きいということです。
おそらくこれは長年見晴を好きでいたから来る感情だと思います。

人生の色んな時に見晴に助けられました。
いやほんと大げさでなく。

単純にときメモをプレイして癒しをもらったというのもありますが、特に見晴の曲ですね。辛い時は見晴の曲が心の支えになっていました。

特に2014~2015年は仕事もプライベートも色々あって人生で一番辛くて、鬱に片足突っ込んでいたと思うのですが、今でも仕事の帰り道に夜空を見ながら「あなただけのfairy」を聴き歩いて、心を慰めていたことを思い出せます。(思い返すと大分やばいなこの状態…😂)

あの時、踏みとどまれたのは、頑張れたのは、見晴の曲のおかげです。
(こういう「曲に支えられた」というのは一般的なアーティストでもあると思いますし、割とポピュラーなものだと思いますね。)

それと、主にTwitterで見晴を通して楽しく交流したり、仲良くなってオフをして盛り上がったりと、縁に恵まれたこと。
ほんと、見晴好きじゃなかったら一生出会うことはなかったと思います。
今これを読んでいるあなたとも繋がれたのも見晴のおかげなんです。
見晴が好きでいることで、大袈裟ですが本当に人生が豊かになったと思っています。

だからとても見晴に感謝しています。

そんなわけで、もはや信仰の対象に近いものとしてあるような気がしますw
聖母マリアのような…天使とか女神とか神格化された存在になっています。

おお、見晴様ありがとうございます。
あなたも見晴教に入りませんか?

 

少し話はそれますが、、そんなキャラ愛だからか、見晴のエロは求めていないです。

画像検索とかするとたまに18禁な絵に出くわしますが、あまり見たくないですw
特に無理やりされている系は…。見晴がかわいそうなので。。
見晴が大好きな主人公とイチャラブする幸せエンドものだったらうーん…
許せるんですが、後述の理由で自分は見ないですね。

18禁でなくても、胸が大きく描かれてたりとか、性的に誇張されているものも自分にはちょっと抵抗ありますねw
作中の水着姿ですら、単純にかわいいファッションとして見たいという気持ちはありますけど、肌の露出が多いからという理由からの見たいという気持ちはないです。なんというか背徳感あります。
これはちょっと自分でもよく理由がわからないのですが、前提として、見晴に対しての性欲がないのがまず大きいと思います。
あと、性的消費することに凄く抵抗があります…
感謝の対象である見晴に申し訳ないという思いからきている気がします。

これは見晴だからこそ起こる現象で、他のキャラはあんまり抵抗ないです。
特に鏡さんとか、真帆ちゃんとか、一文字さんとか、セクシーがキャラの要素になっているキャラは全然良いと思います。むしろ好きです。うっほほーいってなります。
この観点だと見晴はこれまたタイプじゃないですね。うっほほーいってなりません。(コイツほんとに見晴好きなんか?)

ただまぁそもそもときメモ全般にそこまでエロを求めてないですね。
少年誌ぐらいでいいです。

これらはあくまで自分はという話で、他の人がそういうのが好きであることや、そういった創作をすることを否定する気は全くないので悪しからず。

なんか話ズレて来たのでこの話はこの辺で。

佐倉さんへの愛

佐倉さんへの愛も基本は同じですが、見晴よりは幾分ほかのキャラに近いです。

要は、佐倉さんの方が恋愛対象も抱くし、付き合ってみたいとも思うし、エロへの抵抗も薄いです。

感謝の気持ちも薄いですw

もちろんすべての言葉に「見晴より」が頭に付くというだけですが。

一番愛しているキャラは見晴なのに、佐倉さんの方が付き合いたいとかどういうことなんでしょうね。変なの。

佐倉さんに対して見晴とは違った感情として、なんか佐倉さんはいじめたくなります。
これはよくある好きな女の子にイタズラしちゃう男子小学生のノリと同じだと思います。
ネタ絵で見晴ビームで燃やされたり、見晴カメハメ波を喰らったり、人参のコスプレさせられたり海王様のコスプレさせられたり、信号機にさせられたり…彼女が不憫でなりません😭
見晴にはしません。だってかわいそうじゃないですか。

佐倉さん「どうして」

キャラ愛なんて比べるものじゃない

少し話は変わりますが、これホント常々思っていることなので言いたいです

キャラ愛なんてどっちが上とかどっちが下だとか比べるものじゃないですよ…

絵が描けるとか、曲が弾けるとか、グッズを持ってるとか、知識があるとか、年数が長い程、キャラ愛が大きい…

そんなのはおかしいですよね。

もちろんキャラ愛があるからそういった活動に繋がるのだと思いますが、目立ったアウトプットがなければキャラ愛がないなんておかしいです。

この基準なら、自分だってTwitterメモラーの皆さんと交流を始める2020年までは、グッズも今の半分以下でしたし、絵を描いたりブログ書いたりなんてしてませんでしたから、それまではキャラ愛が小さいってことになります。

全然そんなことない。
活動は今の方がしてるけど、見晴への想いは今も昔も変わらないですもん。

今自分は結構創作とかの活動をしている方だと自分でも思っていますが、だからといって「俺が見晴を最も愛しているんだ!」とか「俺が見晴好きの代表だ!」みたいな認識は全くないです。

全くないです。

過去に何度か「かみそさんのキャラ愛にはかなわないです」のようなこと言われたことがあります(誉め言葉として)。
それは嬉しいことでもあるんですが、ちょっと悲しいです。

まして、もし自分の活動によって、その方が自分のキャラ愛に自信を無くしたり、例えば絵を投稿しようとしたけど止めた…みたいなことがあったら本当に悲しいです。
あってはならないことだと思っていますし、そういうことが起こるようなら自分は活動やめます。

自分はたまたま今活動できる時間や環境を確保できて、絵というわかりやすい活動ができているだけです。。
今できていない方・しない方が、それによって何か劣等感のようなものを感じたとしたら、そんなことは思わないでください。

想いが何よりも大切です。
本当にそれがあればいいと思うんです。

ただ、自分も活動ができなくなったら、活動している人を見てもどかしく思っちゃうと思いますけどねw

むずかしいもんですねw
でももどかしい!悔しい!までは思っても、決してその愛までは劣っているなんて思わないようにしたいし、思わないでください。

 

ちなみに過去に言われて一番嬉しかった言葉は、

「かみそさんみたいな人に想われて見晴ちゃんは幸せですね」です。

誰に言われたか忘れてしまったのですが…w
”見晴の幸せを願う”のがキャラ愛な自分にとってそれが肯定されたようで…これ以上ない言葉でした。

いわゆる同担拒否について

キャラ愛は比べるものじゃないと思っているからか、自分は全然そういった感情はないです。
同じキャラを好きな者同士、できれば仲良くしたいと思っています。

ただ、俺の方が見晴が好きだとマウントを取ってきたり、見晴は俺のものだと独占しようとする方とは上手くやれそうにはないなぁと思いますw

お互いにお互いのキャラ愛を尊重しましょ

もし一言だけ見晴に伝えられるとしたら

以上が自分のキャラ愛です。
まとまりもない文章をここまで読んでくれてありがとうございます。

最後に締めとして、掲題のこれを語って終わります。

「ありがとう」です。